謙さんのNASHVILLE紀行2 

 

 

NASHVILLE空港にて

シカゴオヘア空港に着いた。初めてのアメリカ本土上陸。
空港は、表示が英語になっている程度で関西空港とほぼ変わりはない。
「なぁんや。」
僕は一体、何を期待していたのだろう。気温は5度くらい。
宮崎の煙草に付き合って外に出ると空港前の道路はリムジンの山。
よほど大きな会社が多いと見えてリムジンも馬鹿にでかい。
道行く人は冬装束ではあるが、時々この寒いのに
Tシャツ一枚で歩いている人もいる。確かにこの国は自由だ。
空港のロビーなど室内に一歩入ると空調がきいていて
上着を着ていると汗をかくほど。僕の感じでは26度くらい。
これでは京都議定書もワヤになる筈じゃ。
本場のスターバックスで、日本のそれと変わらないコーヒーを飲んで
いるうちに11:30。いよいよ
ナッシュビルへ2時間のフライト。
機内に乗り込むとアナウンスが本格的アメリカになって、日本語の
説明は一切なし。離陸までの間に写真を撮ったり、パンフレットを
見たり。もう飛行機にも随分慣れてきたようだ。けど離陸の瞬間は
なぜか両足が上がる。なんやかやするうちに
ナッシュビルの町並が
見えてきた。
「ここへ来るのに長いことかかったなぁ」
思い始めて30年目の春である。

街角でポーズをきめる僕

「今日は朝から一日市内観光です」
と添乗員(?)の宮崎から聞かされていたのだがフライトの遅れで、
昼からバイロンバーラインを迎えに行く5:30までが
フリータイムとなった。ブロードウェイに着くとそこは
『古き良きアメリカ』
僕が勝手にそう感じただけで本当は新しい町なのかもしれない。
歩くと昔からグランドオールオープリーのポスターを未だに木版で
印刷しているプリントショップ、ウェスタンショップ、ギフト
ショップなどが所狭しと建ち並んでいる。とにかく僕らはグルーン
の楽器屋さんに入った。
まあ日本の楽器屋さんみたいに各種取り揃えでなく
ギター、バンジョー、マンドリンぐらいだけ。
あとは小物と本程度。すっきりしている。みんなスケールはでかく
せせこましいのが嫌いみたい。バンジョーの前で立ち止まって見て
いると、店員さんらしきおじさんがこっちへやってくる。
「弾きたけりゃぁ、どれでも弾くがいい。ただこうして」
とギターの外し方を丁寧に教えてくれて、後はほったらかし。
ここにも個人の責任みたいなものが見隠れする。日本流に言うと、
愛想がない。決して商売を急がない。
ただし質問には丁寧に答えてくれる。
当たり前のようだが、じっくり選んで、買うか買わないかは
お客が考えることなのである。僕が浮き足立っていて、
初めて見たものを肯定するのではないが、このほうが選ぶ側にも
責任があって良いのでは、と思う。
きっと楽器に対して雑な扱いをした客は殴られ
るか、下手したら撃たれるほど責任をとらされるに違いない。
現に、若いお客がギターをハンガーから外そうとして
『ゴン!』と
他のギターに当てた。するとおじさんが飛んできて
「さっき言うたやろうが!!」
と怒られてました。やっぱ
『自由と勝手』の
区別が付かん人はここには住めません。
1890年後半のオープンバックバンジョーに後ろ髪をひかれながら
ライマン公会堂へ。
「やっぱ、田舎から出てきたらここで写真なと写さにゃ。
 なぁ、ばあさん!」

BYRON with ME.

そうこうするうちに5時になったので再び空港へ。
パーキングに車を置いて中に入っていくとこれまたおかしなことが、
迎えに来た人が搭乗口まで入っていける。もちろん手荷物の検査もあり、
例の金属探知機の下をくぐらなければならないものの、
どんどん中に入っていける。
「この国はどこまで人間に責任の持たせているのだろう?」
空気が乾燥していて喉が乾くビールを飲んで待っていると、
デルタ181便が到着。次々と乗客が降り、人も少なくなり
列が途切れ出し
「宮崎、ひょっとしたら乗ってへんのとちゃうか?」
と思ったとき、フィドルケースを肩にかけ
「I'm here !」
と陽気にバイロンバーラインが出てきた。
「ホンマモンヤ〜!」
「Nice tomeet you.」
と言おう思っていたのに、思わず
「I'm grad meetyou.」
と口から出てしまった。
「まさにこれは生きた英語だ。」
と思ったが、伝わったかどうかは知らない。
バイロンはケースをガンガンとドアにぶつけたり、結構雑な、
イヤ、小さいことを気にしない人のようだ。
この人と一緒に歩いているだけで鳥肌が立つのは僕だけなのだろうか?
ホテルに帰って
「夕食どうします」
「ちょっとこれから用事があるので。」
「そうですか。用事は何時ごろに終わるのですか?」
「8時には終わるとおもう。」
「じゃあ、8時過ぎに食事をしに行きましょう。いいですか?」
「OK!」
と約束をした。(彼の用事と言うのは、テレビでメジャーリーグ
の試合を見ることらしい)
僕は部屋に戻りベッドに座ったとたん、7時45分に宮崎の電話が
入るまで何も知らない。どうやら
『時差ボケ』
のようだ。バイロンと夕食をとりながらいろいろな話をする。
半分解らんなりに聞いていて思う、当たり前のようだが、
やっぱりこの人も音楽の話しかしない。僕はよく言う
『自分の職業を心から愛している人が大好きだ。』
と。

なぜか煉瓦の壁が多いのです。

さあ、いよいよ明日からのレコーディングに備えて、
ゆっくり体を休めようと思っているのに、時差ボケと
明日の期待と不安が入り混じり、朝まで眠いのに寝ることが出来ない。
2時間おきに、夢の中にバイロンバーラインやビルキースが出てきて、
「フィドルの代わりにウッドベース持ってきてしもた!」
とか、
「スンマセンバンジョー忘れました。」
とかいろんなことを言うてきよる。
「あぁ〜眠むたい。」
ええかげんにあきらめて、明け方5時にはシャワーを浴びて
「レコーディングの体勢」
が整っていた。なんとも不思議な、初めてのアメリカの朝である。

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