謙さんのNASHVILLE紀行最終回 

1年3ヵ月の長い間掛ってようやく最終回に漕ぎ着けました。
本当は3〜4ヵ月で書き上げるつもりだったのですがよく
付き合って下さいました。ありがとう心から感謝します。

さてNASHVILLEでの15日間が終わりました。
『NASHVILLE紀行』に書き切れなかった事も沢山あります。
ずっと仕事をしていて休みはたったの2日間しか無かったにも
関わらず夜な夜な出歩いていたものですから吸収する事が
多すぎて、まるで渇いたスポンジ状態の15日間でした。
音楽面だけで無くDIVIDGRIARが「明日からtourに出るから
今晩はsteakでも食べよう!」と誘ってくれた『風と共に
去りぬ』みたいな店の内装やT-bone steakのこと、スタジオ
の近くで、丁度僕らが行った時から建てはじめていた建築現場
の進め方、そしてウソ程でかいホームセンターも大いに参考に
なったし、見るもの聞くもの食べるもの触るもの全てが僕の
目に新鮮に映り、体に心に吸い込まれて行きました。今回は
尊敬する二人BYRON BERLINE・BILL KEITHと
BRYAN SATTON ・BYRON HOUSE・BOB WARRENと言う
素晴らしいミュージシャンの音楽に対する姿勢にも直に接する
事が出来たし、SAM BUSH・VASSAR CLEMENTSをはじめ
数多くの素晴らしい感性に触れる事も出来ました。若い頃
ここに来ていたらきっと日本に帰る事は不可能であったろう
と思えるくらい。何よりも大きな成果は、「どんな所へ行って
どんなものを食べさせられても僕はきっとその文化を何ごとも
無かったように受け入れられるだろう。その国が暑かろうと
寒かろうと渇いていようと湿っていようと、泊まる所や
寝心地が悪かろうと、出逢う人がどんなに偉大な人であっても
万一とんでもない奴であったとしても、僕が僕であることを
しっかり持って居る限り何の問題も無い。どんな事があっても
僕が選んだ場所なのだから何も文句を言うつもりは無い。
ちゃんと僕のやれる事、やりたい事をやって無事に帰って
くる。」と行く前から家族に話ししていた事がそのまま実践
できた事です。本当にすぐにこの町や人に溶け込め馴染め
ました。昔の自分では考えられないくらい。だから自分の
創ろうとするものにも素直になれたし、北村 謙
として「自分の音楽はこうありたい。」をはっきり
伝える事が出来たんだと思います。勿論それをクライアントと
ミュージシャンとしではなく受け入れてる素晴らしいメンバーであった事は言うまでもありません。スタジオだけで無く
station innでの演奏もそう、自分の伝えたい事がハッキリ
見えていました。たった2日でしたが町に出ても感じる事が
山程ありました。スーパーマーケットやホームセンターの通路で商品を見ている僕の後ろを通る時いちいち「excuse me.」と
声を掛けて行く人が居る。どんなに混んだ所を歩いていても
人にぶつかる事が無い。自分がやれる事そして、しなくては
ならない事に責任を持って生きる人達。それが『自分の行動
一つで即、死につながる』と言う危機感の上に成り立っていた
としても、少なくとも『どんな事でもなんとかなるの違う?』
みたいな安全ボケした考え方よりはずっと僕に合っている
ような気がします。約束の時間も仕事も遊びも緊張して
いなくてはならないのが妙に心地良かったなぁ。チョコット
一部しか見てないので皆がそうなのかどうかは分かりませんが
良い事は無条件に吸収しました。O型なもんですから。

15日は1日お土産や買い物に時間を費やして住み慣れた部屋の
片づけをしました。翌日のNASHVILLEは雨。それも凄い雨。
雷が鳴り響き登場手続をして居た時にいきなり落雷。停電。
不安。飛行機恐怖症再発。せっかく直りかけてたのに。
「ひょっとしたら今日は飛びません。」のアナウンスに
「行きも帰りもかい?」とその旨を妻に電話。
「心配を掛けまいと思ったけど、帰りが明日になるなら・・」
と伝えてくれたのは父が脳硬塞で倒れた事。心配。結局、
雨があがり定刻にNASHVILLEを出発。帰りはダラス経由で
日本へ京都駅に着くなり父の入院先へ。幸いにも軽い脳硬塞で
済んだと言うので一安心。病室でNASHVILLE紀行を一通り
話しながら泣き笑い。ふいに父の時代が終わりに近づいているを実感。その時から父の時代、祖父の時代に築き上げた
『凛』とした日本の国の美しさをこのモラルもルールも
無くなった世の中で僕達はどうして受け継ぎ伝えて行けば良い
のかを真剣に考え出しました。「おかえりなさい。」と病院に
駆けつけた妻とけったいな再会。『桜SAKURA』の
レコーディングを終えた日「5年前に植えた少年山荘の桜が花を付けましたよ。」と彼女がくれた電話。花が咲くのを
心待ちにしていた僕にはとても嬉しい電話であった事を
思い出して礼を言いました。
行きの飛行機の中から見えた壮大な地球。その中にある
桜の花が咲く小さな島に暮らしている僕が何処に行っても
自分自身で居られた事の喜びや、これまで生きて来た
50年間のいろいろな思いが詰まったこのアルバムを
『桜の島の風の中にいる』と名付けました。

          『NASHVILLE紀行 ー完ー 』

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リロイトロイのおじさんの古いガソリンスタンド

改めて素晴らしいmusicianに感謝します。

 


ダラス空港で池波正太郎を読みふける

 


ただいま 

 


『桜の島の風の中にいる』

 


ありがとう